やっぱり夢じゃなかった

4月20日

一晩あけて昨日の出来事は夢であってほしい、と強く願ったけど、やっぱり夢じゃなかった。

 

口唇裂?口蓋裂?名前すら知らなかった私だけどちょっとだけ知識を得た。

 

例えば

割合としては500~700人に1人ということ

原因は妊娠中のアルコール摂取、ストレス、薬の服用、遺伝などと言われているものの、多くは原因不明であること

直接的母乳をあげることは困難で特別な哺乳瓶が必要ということ

口、鼻などといった病気のその場所から、形成外科だけでなく、口腔外科、耳鼻咽喉科、言語訓練など様々な専門家に長期に渡って診てもらう必要があること

などなど。

 

口唇裂口蓋裂の子供を持つママの記事も読んだ。すごく励みになったし、手術後の写真を見るとみんなほとんど分からないくらい綺麗になっていてちょっと安心した。

と、同時に口唇裂口蓋裂の傷跡やバランスの悪い顔に苦しむ中学生や高校生の記事も読んだ。

学校でいじめられてる、マスクをしないと外を歩けない、人に見られるのが怖い

すごく心が痛んだ。

 

 

ボーッとベッドから起きたけど何もする気がしなかった。

こんな時に限って朝からシティに行かないといけない用事がある。キャンセルしよかなとも思ったけど家にいるより外に出た方がいい気がして朝からサラと久々に電車で出かけた。

駅に向かう途中、登校途中のたくさんの高校生達とすれ違った。

産まれてる子はこの子達みたいに友達と楽しくワイワイできるかな。顔のことでいじめられないかな。

って考えてた。

 

久しぶりの電車でサラは嬉しそうに窓の外を見て、サラ語で喋っていた。

私は一緒に外を見ながらサラに

あ、牛!あ、川!あ、家!あ、木!また木!ずっと木!などと言っていた。

やっぱり出掛けてきてよかった。

 

シティですれ違う赤ちゃんや子供の口ばっかり見てしまった。みんな綺麗な口をしていた。

この子はちゃんと飲めるようになるかな

喋れるようになるかな

手術痛いんやろうな

 

突然涙スイッチがオンになって涙が溢れてきた。サングラスしててよかった。

こんなに自分の感情をコントロールできないのは産まれて初めてかも。

 

用事を済ませてちょっとだけ買い物をしてすぐにまたシティを出た。当初の予定ではお昼に前働いてたラーメン屋に食べにいってーあそこに寄ってーとか考えてたけど、そこまでの気分にはなれなかった。

 

帰りの電車でまた泣きそうになった。こらえようとしてグスングスンと鼻をすすっているとサラがそれをマネして鼻をフンフン言わせ出した。

1歳半、最近色んなことをマネしてくる。

もぉ~マネせんとってー

と言いながら笑ってしまった。

あー本当にサラがいてよかったよ。

あなたに救われてるよー。

 

家に着くと2週間前の戌の日にお母さんが送ってくれた安産祈願のお守りが届いていた。

綺麗な字で

元気で丈夫な赤ちゃんが産まれてきますように

と書いてあるのを見るとまた泣けてきた。

やばい私の涙腺壊れてきたかな

 

サラは家に着いた瞬間パタっと寝て、サラの昼寝中も口唇裂口蓋裂のことを調べてた。

同じ病気を持った子供たちのための団体があって、お互いに交流したり、いろんなサポートを受けれることを知った。

 

途中でマークが帰ってきた。

1人で辛かったね  可哀想に

こんな時にそばにいなくてほんとごめん

大丈夫?

と言って

ギューっとされるとまた涙が出てきた。

私はただマークが帰ってきたことが嬉しかったし、すごく安心した。

 

マークは予想通り全然動じてなかった。

今までマークがオロオロしたりパニックになったりしたのを見たことがない。

何かいっつもドンと構えてる感じ。

 

何も心配することない

この子は大丈夫

 

マークにそう言われると気持ちが楽になるから不思議。

そうそうこの安心感。マークとだったら何でも乗り越えられる気がする。

この人と結婚してほんとによかった。

マークも色々調べてたみたいで、すごく冷静にこの子が産まれてきてからどうするべきか、とか具体的なことを話し出した。

 

マークの顔を見たら突然お腹が空いてきて夜にはペコペコだった。暖かくてほっこりするものが食べたくて鍋にした。

マークといろいろ話してお腹も満たされたら少し元気になってきた。

 

何で私の子が

神様何でこんなことするの

って思ってたのが

 

きっと理由があって私たちがこの子の親として選ばれたんや

私達の子ならこんな試練も乗り越えられるから

神様からの贈り物なのかもしれない

 

って思えてきた。

 

まだ現実を全て受け入れられたとは言えないけど確実に昨日の夜とは気持ちが違うかった。

夜も昨日よりはよく寝れた。

お腹の子は口蓋裂と告げられた

4月19日水曜日

待ちに待ったエコーの日

この日をすごーーく楽しみにしていた。

男の子か女の子か分かるやろなぁ 。どっちかなぁ。母親の勘?ずっと男の子の気がしてしょうがなかった。

男の子の名前ばっかり考えてた。

 

これが心臓で、、これが脳で、、と説明してくれるのを聞きながら、いつもよくこの人たちはこんな白黒の画面を見てそんなんが分かるなぁって感心する。最後の最後に、

足の間にあるの、、これ、見える?

って言われて、

見える!男の子やぁ!やったー!

この子のお姉ちゃんになるサラとハイタッチー!

飛び上がりたいくらい嬉しかった。

サラもはしゃぐ私を見てぴょんぴょんしてた。

でもその後の一言で私はどん底へ突き落とされた気がした。

 

この子ねCleft Palateなの

 

??????

 

え?何それ?何かそれ聞いたことある。でも何やっけ?すぐにピンとこない。

続けてエコーしてくれた人は説明してくれた。

唇から鼻の穴にかけてすき間がある。つまり裂けている。上顎も裂けている。日本語で口唇裂口蓋裂。赤ちゃんがお腹の中で成長する過程で何らかの異常が生じて唇や上顎に割れ目が残ってしまう病気。

(この時は口蓋裂と言われたけど口唇裂でもあるみたい。詳しくは来週大きな病院で検査するまで分からない)

すぐに状況を飲み込めなかった。

え?何これ?何が起こってるん?

頭が真っ白になった。

しばらくしたら涙が出てきて1度流れるとどんどん出てきて止められなくなった。

 

辛いね、大丈夫?飲み物いる?誰かに電話する?

色んな優しい言葉をかけてくれたけど、もう泣くしかできなった。

 

エコーの写真が印刷されるのを待ってる間、ケータイでcleft palate と入力した。

すぐにたくさんの画像が出てきた。説明はされたものの実際に画像を見ると想像以上でショックだった。信じられなかった。

夢じゃないんかなって何回も思った。

エコー写真ができた時に

ケータイの画面を見せて、お腹の子はこうやって産まれてくるってこと?て聞いたら、

申し訳なさそうに、

そうね、たぶんこれに近いと思う

って言われた。

 

その後そのまま違うドクターのところに行くように言われた。

待ってる間、3日間遠い遠い所にキャンプに行ってる旦那のマークに電話した。

エコーに行く前に話して

今からカヤックで釣りに行くから、ケータイは持っていけないから陸に帰ってきたらすぐに電話する。どっちか楽しみやなー!

って言ってた。だから出ないのは分かってたけどかけてみた。やっぱり出なかった。こんな時まで野生児。

 

その後日本にいるお母さんにかけた。泣いている声を聞いて心配していた。話してる時にドクターに話しかけられたからあまり何も話せないまますぐに切った。

その後はLINEでやり取りして心強いメッセージを送ってきてくれた。

 

ドクターは私が

 

お酒を飲んでいないか

何か薬を飲まなかったか

ステロイドを使わなかったか

家族や親戚に口唇裂口唇裂の人はいないか

と聞いた。

答えは全部NO。

 

じゃあ何で?何でこの子が?何で私の子なん?

何がいけなかった?

何で?何で?ばっかりぐるぐる回ってた。

 

結局詳しいことは来週専門家に検査してもらうということで終わった。

 

泣きながら病院を出た。

帰りの車のことはあまり覚えてない。

ガレージに車をとめながら

あ、いつの間にか帰ってきた

って思ったのは覚えてる。

 

帰ってきて、頭の中がぐちゃぐちゃのまま、サラにご飯を食べさせてお風呂の用意をして、いつも通りのスケジュール。弟の状況なんて知る由もなく、1歳半のお姉ちゃんはいつも通り元気元気。

 

エコーの時に裂け目の幅は4mmと言われた。

定規で4mmを見て、サラの口にあててみた。こんなにも広い裂け目があるの?

4mmって普段はすごく小さいように感じるのに、今の私にはすごく大きく感じた。

 

サラを追いかけ回しながら、たまに突然涙スイッチが入って自分でもびっくりするくらい泣けてくる。

最後にこんなに泣いたんいつかなぁ

こんなに泣いたことあるかなぁ

 

出ないと分かってても何度もマークに電話した。やっぱり何度電話しても出なかった。メールでは伝えたくなかった。

 

サラをお風呂に入れている時にマークから電話がかかってきた。

着信履歴の数と

すぐに電話してきて

のメールから何かが起こっていることは分かっているようだった。

電話がかかってきた途端に涙が出てきて泣きながら出た。

どうした?何があった?大丈夫?

と言われて

 

男の子だったよ

でもcleft palate だって。

 

マークは静かに

そっか。

と言って、

今の技術なら綺麗に手術で治せるから大丈夫。そんなに泣かないで。

俺らの子は絶対大丈夫だから。

こんな時にそばにいなくてごめん。

明日帰るからね。

みたいな感じでしばらく喋ってから切った。

赤ちゃんのことより私が大丈夫かの方が心配そうだった。

声を聞けただけでちょっと気が楽になった。

でも早く顔が見たかった。

 

マークのママ、べブにも病院で電話したけど出なかったからもう1回かけた。

いつも通りハッピーな声でどっちやった!?って言われてまた涙が出てきた。

ひっくひっく言いながら事情を説明した。

途中からあまり言葉にならなくてべブが励ましてくれる言葉に頷くしかできなかった。べブの甥っ子に1人とマークのお父さん側のおばさんが1人同じ病気だったとこの時初めて知った。

 

この病気の詳しい原因は分かってないらしい。でもやっぱり

あの時無理しすぎたから?とか料理にちょっとお酒使ったから?とかたまに葉酸サプリ飲むの忘れたから?とか考えずにはいられなかった。

神様、何でこの子なん?私なにしたん?原因が分かるならもう1回妊婦生活最初からやり直したい。

分かってるよ。世の中にはもっともっと辛い病気で苦しんでる赤ちゃんや、命の危険にさらされてる子だっていてる。この子はちょっと他の子とは違う顔で産まれてくるけど、今のところ元気に育ってくれてる。それだけでも幸せなこと。分かってる。でも今の私にはそれを受け入れる余裕はない。

 

私がいつもと違うからかサラはいつもより私にくっついてきていっぱいキスしてくれた。あーこの子がいてくれて本当によかった。

一人やったら壊れてたかも。

 

サラが寝てからこの病気についていろいろ検索した。英語のサイトも日本語のサイトも片っ端から読んでいった。

夜はほとんど寝れなかった。

こんな時でもお腹は空いたけど食べる気がしなかった。

空腹で気持ち悪いままベッドに横になって気づいたら朝になってた。

ブログ始めてみます

今まであんまり人のブログを読んだこともないし、もちろん書いたこともない私がブログ始めました。

理由はお腹の中にいる子がタイトル通りちょっとユニークということが判明したから。
今の気持ちを書き留めておこうって思ったのと、書く事でちょっとは自分自身の気持ちが整理できるかなって思ったから。
後で、
「そーそーあの時はよく泣いたなーこんな気持ちやったなー」
って笑って読み返せる日が来るからその時のために記録しておこう。
このブログがたくさんの人に読んでもらえるとは思ってないけど、いつか同じ境遇の人達に読んでもらえる日が来たらいろいろ共有したいな。

でも使い方がまだいまいち分かってなーい
まずはそこからやな。